かなぶんの波乱万丈記

脳性麻痺児を子どもに持ち、自身も難病を抱えているバツ2アラフィフ女のブログ

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生きる

こんにちは👋かなぶんです✨

 

なかなか日々の生活と言うものは、個人の思う通りにはならないものですね。

ここ最近色々ありました…。

まぁかなぶんの理想を追い求めても、そもそも難しいんですよ。

生きるって事は試練だと思います。どう生きたら自分が幸せに生きて行けるか、模索する試練(笑)。

難しい話ですが、多分みんなそうだと思います…。

どう生きるか

自分がいかに活かされ生きるかは、自分の経験とそして、いかに自分と向き合うか…。

自分と向き合い自分を受け入れ受け止め前進して行けるかは、全て自分にかかっているのではないでしょうか…。

他人に依存していては、いつまで経っても成長は出来ません。

人は、思い通りにならないと他人のせいにしてしまいがちですが、それこそが、自分と向き合っていない典型的なタイプなんです。

そのような行動に出る人こそ、自分と向き会えないで苦しんでもがいてしまうんですね…。

どう生きるかは結局は全て、自分なんです

それに気がつけるか、つけないか…

人として、自立した生活へと結びつけるかはまずしっかり自分と向き合う事が大切だと、そうかなぶんは思います。

悲しさから死を

かなぶんは母親から虐待を受け、日々罵声を受け罵られ、母親からの愛情を感じる事なく育ちました。

母は酒乱でした。小学生の低学年の時、父親が夜勤で居ない夜は、恐怖から深夜布団の中で死に方を考えたり、実際に死ぬ行為を試しました。

しかし自分の力では死ねませんでした。

死ぬって、こんなに苦しいなら今の毎日を耐えようと、そんな子供時代を過ごして来ました。

思春期には、リストカットもしてました。抜毛症と言いますが、自分の髪の毛を抜き痛みを快感とする行為も繰り返していました。

ストレスから頭皮にアトピーが広がり、常に瘡蓋を掻きむしり傷だらけで、血と膿で瘡蓋が絶えずありました。その瘡蓋を掻きむしる事が快感でした。

克服は我が子から

我が子から沢山の学びを貰いました。

虐待され育ってしまった親は、我が子にまた手をあげてしまいます。かなぶんもそうでした。虐待の連鎖です。息子から「叩きや」と言われ、それがきっかけとなり手をあげなくなりました。

育児を通して自分と向き合う事が出来ました。

人に頼る事は恥ずかしいと思って来ましたが、これも全て育った環境と自分の特性からでしょう。しかし、脳性麻痺の息子を育てているうちに、人に頼る事を教わりました。悔しさから何度も一人で泣いて来ました。しかし泣いていては前に進めません。行政とのやりとりの難しさから、色んな人に相談しました。色んな方々から本当に親身に助けて頂いて来ました。今も尚壁だらけです。どうすればいかに暮らしていけるか、模索だらけです。ですが、かなぶんは前に進みます。

一人で抱え込まないで下さい。

生きていると楽しい事、あります。

 

YouTube

脳性麻痺児たくちゃん食事介助【一歳の姪っ子からミカンを食べらせてもらう】
https://youtu.be/prdQU6DH2JA

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可愛いです❤️

良かったらご覧下さい✨

 

ではこの辺で👋また後程✨