障害児の親としてぶつかる壁
こんにちは👋かなぶんです✨
今日も昨日と変わらずの寝起きのかなぶんです。今日は格別に手の痛みで目が覚めちゃいました💧
息子は障害児です
息子は早産児低体重児。
出産の際仮死状態となり、脳性麻痺による移動が不可能な障害を持っています。
症候性のてんかんと、乳児喘息を併発しています。
現在10歳の小学四年生です。
1月生まれの息子は1歳で保育所への入所が決まりましたが、この頃は入退院を繰り返していました。ですから実際の入所は1歳と半年でした。
障害児の保育所までの道のりと成長
かなぶんは産休からの育児休業中だったので、普通に仕事復帰を考えていました。
正直、息子が障害児となる意識は特に無く普通に育児をしていました。
と言うのも、出産後息子は当然未熟児なのでNICUに入院し、その入院中の検査でPVLと診断され医師より説明は受けていましたが、PVLと言われましても深くは理解していませんでした。医師からは、将来歩けるか歩けないか、走れるか走れないか成長はわかりませんぐらいにしかかなぶんには聞き取れていませんでした。
息子の障害について気付き始めたのは、息子が6ヶ月になった辺りからでした。いや、それまでに自分の中では薄々違和感に気付いていましたが、今では元旦那、当時は旦那にも相談はしませんでした。誰にも自分が抱く不安を相談しませんでした。
市の保健師さんからの訪問も断りました。市の検診も断りました。全て医大の乳児検診を受け、市の検診は代表的な検診のみでした。
息子は普通に首が据わり離乳食も普通に始めていましたが、健常児の育児とは違う違和感を感じ始めたのが6ヶ月あたりからの発達が進まない、出来ない、しない、斜視が出始めた等からリハビリを開始したのも6ヶ月からでした。
リハビリをしていれば遅いながらも発達はおいついて行くと信じていました。障害児になるともまだ思っていませんでした。
息子は感情表現が出来ていました。笑う、怒る、要求面はそれなりの月齢通りでした。
乳児検診をしてくださっていた医師から
仕事復帰を考えているかなぶんに医師から、息子が保育園に入って困らないように制度を使うように申請しましょうと言われました。それは特別児童扶養手当でした。
特別児童扶養手当
▪️対象となる児童
身体障害者手帳1~2級または療育手帳「A」を持っているか、これと同程度の重い障がいのある児童
これがあれば保育園で困らないと言われました。
入所が決まった1月、息子はちょうどRSで入院していました。
保育所から携帯に連絡がありました。当時の所長は娘が別の保育所でお世話になった事がある方で、かなぶんだと書類ですぐにわかったそうでした。とても話がし易くて環境的にはラッキーでした。息子の状態や、食事面、そして障害の程度を聞かれました。
3月は初めてのてんかん発作で入院。
4月は喘息の大発作にて入院。
私の育児休暇は最長1年半年まで延ばす事が出来ましたので、6月から徐々にお慣らし保育に入り7月から本格的に入所し、かなぶんは仕事復帰しました。
保育所での加配
乳児検診の医師が何故、特別児童扶養手当を薦めてくれたかがわかりました。
まだ障害手帳は持っていませんでしたが、この特別児童扶養手当を受給している児童には加配を付けて頂けるそうでして、息子の通っていた保育所(自治体)は1人の障害児童に1人の加配を付けてくれていました。これもラッキーでした。
てんかん発作があるので、発作時対応として、発作を止めるダイアップと言う座薬を使用してくれる話も決まっていました。
息子は生活の全てがリハビリだと言うかなぶんの考えも理解して頂き、日中保育所にて姿勢を気にしていただいたり、遊びから動作の獲得が出来るように色んな工夫をしてくださりました。
が、しかし翌年所長が変わりました…。
保育所はリハビリをする所ではありません。
保育所にて座薬の挿入は如何なる場合いにおいても許されない行為です。
3月末まで良かった事が4月1日から突然駄目なんておかしく無いですか?
新しい所長との戦い
話し合いをしましたが全くらちがあかず…かなぶんは市の保健師さんに相談しました。この保健師さんがこれまた、むかーし子供の頃に遊んだ事のある方でして、全く知らない方ではなく、しかも市では有名な仕事が出来る保健師さんでした。これまたラッキー。
保健師さんはまず、座薬の挿入が医療行為ではないことを市に証明しました。
そして息子の主治医とアポを取り、座薬の挿入の必要性を指示書に書いて下さいと頼みました。
これらを市に提出し会議された事により、市はてんかん発作が起きた時の緊急時対策を見直して下さりました。
これにより、息子が保育所で発作が起きた時には医師の指示書通り、座薬を挿入し、救急車を呼びかなぶんに連絡をしてくださるように改善されました。
もちろん息子だけではなく、市全体の保育所で統一してくださるようになりました。
とにかくこの所長とはぶつかりました。
保育所はリハビリをする所ではない
これに関しても、間に保健師さんに入っていただき何とか理解は得ました。
かなぶんだって担当の保育士さんもですが、保育所がリハビリする場では無い事ぐらい理解出来ていました。そうではなく、保育所は保育をする場であり、働く母親に代わって日中保育して下さる場です。
母親に代わって保育する
かなぶんはここを言いたかったんですが、この所長だけは頭が硬いのかなんなのか全く最後まで噛み合いませんでした。しかし、担任や加配の先生からは本当に良くしていただきました。
障害児の親と言う事を理解しなさい
遠足の話し合いの際、所長からこう言われました…。
どう思います?
4歳の遠足でした。もうこの頃には障害手帳も持っていましたし、障害児用の装置や装具も使用していました。かなぶんは息子が障害児であるとしっかり受け止め理解し、生活の全てがリハビリだと頑張って過ごしていました。
遠足
遠足は山登りをしながら秋の探索をしよう!でした。突然お便りで内容を知ったかなぶんは、この遠足は嫌がらせかと思いました。
何故なら歩けない我が子ですよ…抱っこで山を登る?バギーは使えないよね?パンツ交換はどこでする?座れ無い我が子をどうやってお弁当を食べらせる?
手紙でしか内容がわからないかなぶんは不安でいっぱいでした。
月曜日所長からの話を聞くと、まず、所長の考えは息子ともう1人の同じ歩けない子供さんはバスで頂上まで行来ますと淡々と言われました…
待って下さい…。園児の遠足ですよね…。
聞いて呆れました。この人本当に所長?と思いました。
障害児の親
障害児の親は我が子の障害をカバーしようと考えます。だから、遠足が山登りだと知った親は子どもを抱っこする事を考えます。
そうお伝えたした後のお返事が
「障害児の親と言う事を理解しなさい」
でした。どう思います?
全く障害と言う事を理解していないのはあなたじゃないですか?と、かなぶんはお伝えしました。
これこそがインクルーシブへの理解の低さです。
障害があっても無くても皆んなと一緒に過ごせる場所が保育園には有ります。
どうか、私達障害児の親の気持ちもご理解下さい。
息子は地域の小学校へ行かせてあげたかったんですが、肢体不自由の児童に対しての配慮や知識等がかなぶんの願うものでは全く無く、市と交渉したり戦う気力もありませんでした。かなぶんは市を離れ肢体不自由児専門の支援学校を選びました。
現在四年生。4月からは五年生です。
リハビリが何より大切だと思うかなぶんは、療育センターと連携している学校へ通っています。
中学校はまだ決めていませんが、地域へは間違いなく進めません😅
18の壁はまだ先かもしれませんが、かなぶんは常に18の壁を考え今を過ごしています。
まだ未知ですが、未知なりに考えなくてはなりません。それが障害児の親です。
YouTube
息子のお風呂介助の様子です。
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