虐待に繋がる我慢の強制 小学生時代
こんにちは👋かなぶんです✨
今日はあったかい高知県です。
今日も夢を見たんですよ❗️しっかり覚えていたんです…これは起きてから調べてみないと‼️と言うくらいの夢だったんですが、しっかり目覚めた時には忘れていました😭
記憶も記録も無いので仕方ないです😅夢を記録しようにも、かなぶんは老眼と乱視で眼鏡が無いと携帯がつつけないと言うか字が全く見えないんですよね…しかも、深夜から朝目覚めて30分くらいまでは指が動かない…指が動かないのは膠原病の関係です…強ばりって言う症状です。かなぶんの場合は、痛みもあるので、例えば寒くて目が覚めてお布団を掛け直そうとします!お布団を掴めないんです…痛くて握れないんですよね…そんな時は足を器用に使ったり、一度起き上がって肘などを使って掛け直しています…なので、夢を記録したくても出来ないんですね…おまけに鳥目で暗い所では物が見えない😨厄介な奴です(笑)
かなぶんの小学生時代
かなぶんの両親はかなぶんが小学2年生になったばっかりだったかな…離婚だ離婚っつって夫婦喧嘩をしましてですねぇ、次の日には別居生活が始まり…かなぶんは母親とは居たくなくてですねぇ、父親の所へ逃げちゃったんです(笑)自分の意志で(笑)
父親はフル稼働の工場勤務で交代制の現場に居たんです。ボイラーマン。カッコいい。なので1人でかなぶんを育てる訳にはいかなくて…それでもかなぶんは母親を否定したので仕方なく、通っていた小学校からは車で40分程離れた、父親の実家に預けられました。そちらから汽車で、大好きだったお婆ちゃんと通学していました。
夏休みの終わりが見えた頃、このままではいかないから、離婚して転校させるか、元の場所でやり直してみるか等と言う話し合いがなされました。
結果、やり直してみるとなり、かなぶんは自宅に戻り、弟2人と母親も戻って来ました。
ここからがかなぶんには恐怖でしかない生活の始まりでした。
母親は当時事務員として働いていました。
洗濯物を取り込み、お風呂の準備をして弟達とお風呂にはいる。夕飯の準備。テレビは20時まで。21時までにはお布団に入り寝る。弟を寝かしつけるのは当然かなぶんの役割。
父親が居る時は安心でした。
父親が居ない夜は恐怖でした。
当時母親はアルコール依存症で毎晩焼酎を炭酸で割って飲んでいました。少しでも機嫌を損ねると罵声を飛ばされる始末…内容は今でもしっかり覚えています。別居の際の私を許せなかったんでしょうね…根にもった発言が中心でした。
よくお布団の中で弟達にばれないように泣いていました。お姉ちゃんやき出来て当たり前とか、お姉ちゃんき我慢して当然とか、お姉ちゃんやに何をしゆが?等そんな母親の発言の中育って来ていたので、お姉ちゃんやから我慢せないかんは普通に身に付いていました。なので、弟達の前で泣く訳にはいかなかったんですね…
こんな生活が何年か続き、かなぶんが6年生になったくらいかな…突然両親が仲直りしまして…
気持ち悪かったんですが、連日何年も続いた夫婦喧嘩は無くなったので、そのおかげで弟達が泣き叫ぶ事がなくなり、泣き止ませる苦しみからもかなぶんは解放された訳です。
もちろん、母親からは一切謝ってもらっていません…この後12歳14歳16歳年が離れた妹弟が誕生するんですが、かなぶんの中学生高校生時代の話はまだまだ強烈でした…
こちらはまた後程書きます。
最後に
どうか子どもを誘導しないで下さい。
自分の都合のいい道具にしないで下さい。
子どもは親の持ち物では無いんです。
かなぶんは小学2年生の時、毎晩息を止めていました。息をしなければ楽になるかなと考えての行動でした。でも息を止めると、今よりもっと苦しいんですね…だから息を止める行動を辞めました。もっともっと今を我慢しようと考えたんです。自分が我慢すれば母親は怒らないんだと解釈したんです。
子どもにはある程度の我慢は必要です。ですが、このような行き過ぎた我慢を子どもにさせる行動や躾は虐待です。
以上。
暗い話になりました。綺麗な風景でお許し下さい。
では今日はこの辺で👋また後程✨