線維筋痛症を発症した経緯
こんにちは👋
高知県も肌寒くなってきました
そろそろ靴下二枚履きに手袋が必須になります…血行が悪くて手足にレイノー症(皮膚が真っ白くなる現象)が出ると痛くて痛くて…一昨年辺りから出現するようになり、服薬はしているんですが、冬は防寒で気を付けるしかないんですね…右利きなんですが、お米は左手で磨いでいます。
母親からの虐待
私、母親の愛情を知らずに育ってます。
物心ついた頃には、私はお姉ちゃんだから我慢するのが当たり前と自分自身が思ってました。母親からの刷り込みですね…
学校から帰って来たらまず家事のお手伝い、年子の弟と5つ下の弟とお風呂に入って夕飯のお手伝い。
夕飯時には母親は酒乱状態でしたね…弟が泣くと何が原因かなんて関係ない…叱られるの私…そしてお決まりのセリフ「お姉ちゃんがちゃんとしてないきやろが💢」
父親が24時間可動の紙会社に交代性の勤務をしてましたので、唯一優しかった父親がいる日は心が休まっていました。
私が思春期の頃には12歳から16歳離れた弟妹3人が産まれていましたので、当然私への母親からの八つ当りはヒートアップ。
この頃母親はお酒を絶っていましたが、やはり私への関心は、手伝いをするかしないかが基準。
よく言われていたセリフは「あんたの手本が悪いき下が何も出来んがよ💢」でした…。
私には初めから手本が無い
一番最初に産まれた私の手本は両親のみ。
片付けや掃除が出来ない母親が私の手本でした。意味がわからないまま叱られる毎日だったと思います。
今は安定剤を服薬しているから平気なんですが、服薬する前までは狭い所(トイレ)(エレベーター)トンネルも怖くてたまりませんでした。幼少期に押し入れに閉じ込められてたんですね…よく覚えていませんが、よく叩かれていたそうです。
線維筋痛症発症の原因
線維筋痛症の発生には、この様な幼児期の虐待による傷が必ず奥底にあるそうです。
そしてこの様な過去を辿って来た方が成人され、また大きなストレスを抱えた時にそれを引き金として発生すると言われています。
私の場所、28歳の時の交通事故、その後すぐの離婚が発症の引き金になっています。や
併発
私の場合、体軸性脊椎関節炎という難病(膠原病)への併発なので、線維筋痛症が完治する事は無いそうです。
毎日整体で筋肉を弛めてもらい、2週毎に他県の線維筋痛症外来にて光線治療、大学病院は月1に通院しています。
仕事は休職していますが、障害年金の申請が通れば退職しようと考えています。
1級にはならないと思いますが、いちをDr.の診断書には就労不可能と記載されていましたので、2級になればと願っています。
ではこの辺でまた後程👋